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2008年4月10日 (木)

いろいろな事が「商売」になっているのですね。

今日は昼過ぎから私の住む宮城県涌谷町は雨が降り出し、現在もしとしとと細かい雨粒が降り続いています。そんな訳で午前中はたまった洗濯物を洗濯しましたが、雨が降り出してからは部屋に篭り体を休めていました。
そんな1日を過ごした私の目に飛び込んで来たのは今日の河北新報朝刊の社会面の記事。『「お焚(た)き上げ」名目、遺品を無許可収集 仙台市、葬祭業者告発へ 廃棄物処理法違反の疑い』というもので大きく見出しが出されていました。記事の内容は札幌市の葬祭業者とその仙台支店が一般廃棄物収集・運搬の許可を得ずに亡くなった人が使っていた家具の廃材や衣類、寝具などを収集し仙台市内の廃棄物処理場に運んだ疑いが持たれているというもの。記事では関係者の話しとして故人の遺品を寺などで供養後に焼却する「お焚き上げ」を行うと言って、葬儀社などを介して遺品を収集、遺族らから一万〜二万円の料金を受け取り、大半は仙台市のごみ焼却施設である青葉区の葛岡工場に持ち込んでいたということです。
まず、この記事を見ての私の率直な感想は「こんな商売もあるのか」ということです。昔は(私は今でもそうだと思っていましたが…。)故人の遺品は形見分けと称して親族や友人に分け与えて故人を偲ぶ為に残されるものでした。ですから私は眼鏡など人それぞれ調整が必要なものは別として例えば腕時計や鏡、衣服などは実際に使用してふとした時に故人の在りし日の姿を思い出す、その人の魂を大切に持ち続けると言った感じで普段から遺品を持ち、使用している人は多かったように思います。しかしこの記事を見るとどうやらそうでもないらしい。何故このような商売が成り立ってしまったのでしょうか?故人との間に何か思い出したくない嫌な思い出があるのか?でももしそうだとしたらお寺で供養をする事を考えずに処分すれば良いわけでわざわざお金を出してまで「お焚き上げ」を依頼する必要はないのでしょう。逆に故人の死を認めたくない、死亡した事実を早く忘れて思い出したくないという気持ちが強い人が依頼をしたのではないかと考えられるのではないでしょうか?
仏教では人間がどうしても避けられない「四苦八苦」という苦しみがあるとしています。そのなかで『死』、そして死によってうまれる『愛するものとの別れ』は「人間の 究極な苦しみ」とされています。こればかりは人間の意思でどうすることもできない。だから忘れようとしてもなかなか忘れられるものではない。だからせめて故人の愛用していた物を供養してもらう事で故人との関係に一区切りをつけるために依頼をする人がいたのでしょう。もちろんこれで「死」という事実が変わるわけではないのですが、残された遺族の気持ちの整理のためには「お焚き上げ」は悪い事ではないでしょう。
しかし、今回のこのニュース、問題なのはルールを無視して遺品を処分していたことでお金を得ていたと言う事実です。遺族が気持ちの整理をつけるためにお金まで払い処分した遺品がルール無視の片棒を担がせられたらたまったもんではありません。さらにこれはあくまで私の推論ですが、もし供養せずにただ清掃工場に遺品が持ち込まれ処分されていたら処分費用や運搬費用を除いたそのお金の大半は何もせずにその葬祭業者のふところに入ってしまったということになります。処分費用や運搬費用は一万〜二万円という金額からは安いはずですが…。そこまでしてお金を儲けたいものでしょうか?いずれにしてもこのような形で騒がれる事がこの葬祭業者と同じような世界に身を置く者として私は残念でなりません。宮城県警察は立件にむけて慎重に捜査しているようですが、しっかりと捜査をしてこのような事が二度と起こらないように対処される事を期待し、僧侶である私も今後、このようなケースでどう対処すればよいのかあらためて考えさせられるニュースでした。みなさんはこのニュースどう思いますか?

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