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2014年9月

2014年9月11日 (木)

2014年9月11日に思う…

こんばんは。
今日2014年9月11日は何かと思うところがあったので徒然なるままに書き記したいと思います。

まずは現在進行形の話題…昨日から今日にかけて、日本列島各地で今まで経験したことのないような豪雨に見舞われている地域があります。北海道では気象の特別警報が出され、宮城県石巻市では経験したことのないような1時間雨量を記録する豪雨が深夜に発生…あちらこちらで冠水や土砂災害による被害が発生したようです。
ここに被害に遭われた皆様にお見舞い申し上げます。合掌。
じつはこの豪雨災害に見舞われた宮城県石巻市ではちょうど今日9月11日は東日本大震災の大津波に襲われてから3年6ヶ月が経過しました。大津波による冠水の時以来、初めての大きな道路冠水…自然は時として人間に大きな試練を与える事にもどかしい気持ちを感じたとともに、人間の存在は自然のなかでは小さな存在でしかないことを改めて感じております。そして、このような時だからこそ、一人一人が力を合わせる事が難局を乗り切るためには大切な事だと感じたしだいです。
現在も宮城県では利府町から南の地域にかけて、豪雨が降り続いているそうで、被害が発生しないことを祈るのみです。
当該地域の皆様には特に身を守る最善の方法をお取りいただくようお願いしたいと思います。

さて、もう一つの話題ですが、このような状況下でお忘れになっていらっしゃるかたもおられると思いますが、今から13年前…日本時間の2001年9月11日午後9時46分に当時アメリカのマンハッタンにあった世界貿易センタービルに直前にハイジャックされた旅客機が突入する事件が発生しました。
その後、世界貿易センタービルにもう1機、さらにアメリカ国防総省にもう1機の計3機の旅客機がそれぞれ突入…たまたま飛行機に乗り合わせた一般の人々、世界貿易センタービルで仕事をされていた一般の人々を巻き込んだ大きな犠牲を生む事件でした。
どんな主義主張があるにせよ、人命を犠牲にした方法で力ずくで主張を展開するやり方は個人的には容認できません。たとえ、力ずくで主張を通したと思っても、その場は凌げたとしても、怨念が生まれ、また、いつしかその怨念が爆発し、新たなる戦いが発生しかねない…その繰り返しで紛争が絶えない…現在、シリアで起こっていることにも繋がっているのだと思います。
お互いに正々堂々と武力を排除し、議論を闘わせる…門前払いにせず、相手の意見のどこがおかしいのか?そこを指摘し、自分達の主張を述べ、お互いが議論を闘わせて折衷案に繋げられるような関係が築けるような時がいつしか来ないものか?と日々感じてしまいます。
ともかく平和な世の中が生まれることを願うとともに、今からちょうど13年前に期せずして命を奪われた『アメリカ同時多発テロ事件』で犠牲になられた皆様のご冥福を謹んでお祈り申し上げたいと思います。合掌。

何かとりとめのない内容の記事になりましたが、私がどのように生きるべきか?考えて明日からふたたび行動をしていきたいと思います。

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2014年9月 8日 (月)

天台宗陸奥教区仏教青年会の一員として岩手県宮古市内の仮設住宅へ

去る9月6日(土)、およそ1年ぶりに岩手県宮古市に出かけてきました。
今回出かけた目的は、天台宗陸奥教区仏教青年会の活動で、宮古市内にある2箇所の応急仮設住宅の住民の皆様に『写経会』と称して写経を体験していただくためでした。

こちらは午前中にお伺いした応急仮設住宅での写経会の様子です。
実は開始時刻になっても誰一人として来ていただく方がいらっしゃらず、内心「今日は誰も来ないのではないか?」と不安に思っていたのですが、開始時刻の10分後に3名の住民の方々がおみえになり、写経に取り組んでいただきました。
住民の方にお話しを伺うと、早朝から海岸の清掃活動があり、終わったのが、写経会の予定開始時刻の直前だったとの事…我々の姿をご覧になられて急いで仮設住宅の談話室まで杖をついて来ていただいたそうです。
住民の方々は我々が来るのを楽しみにしていただいていたそうで、来ていただいて早々、記念写真を撮りたいとの事で、私と一緒に記念写真を撮影させていただきました。
最近は震災直後に比べると仮設住宅を訪れる支援団体も少なくなり、少し寂しい状況だったそうで、我々がお伺いした事に歓迎のお気持ちを表していただきました。

一方、こちらは午後お伺いした応急仮設住宅の様子です。
こちらの仮設住宅では6名の方々に写経会に参加していただきました。
宮古市市街地のど真ん中にあるためか、なかには仮設住宅から一般住宅へ転居された元住民の方もいらしていただき、一緒に写経に取り組んでいただきました。その方からお話しを伺うと仮設住宅を出たものの、顔見知りの方がいらっしゃらず、今でも事あるごとに仮設住宅のイベントに参加をされたり、仮設住宅の方々とお茶飲みをされているとか…仮設住宅で出来たコミュニティを転居してからどう保つべきか?課題を見せられたような気がします。
こちらの仮設住宅は現在も22世帯が入居されているそうです。参加者のなかには90歳のご婦人もいらっしゃり、この仮設住宅の住民同士のつながりが世代を超えたものであることを感じてきました。
宮古市では現在、復興公営住宅の建設が行われているそうですが、建築資材の不足などが影響してか、住民の方々には入居の目処が示されていない状況なのだそうです。
住民の方はそこに入居できないもどかしさがある一方で、仮設住宅を出てから、また、新しいコミュニティを築き上げる事ができるのか?と言った不安を感じていらっしゃるようでした。

午後の活動が終わってから、宮古市の藤原地区にある『元祖いかせんべい』を製造販売されている『有限会社すがた』さんにお伺いしました。こちらの社長様には我々天台宗陸奥教区仏教青年会と宮古市の社会福祉協議会、さらには応急仮設住宅を結び付けていただくお手伝いをしていただきました。
震災の時には、こちらのお店も大津波に襲われ、お店にはたくさんの瓦礫が押し寄せたそうです。
しかし、社長様はじめ、従業員の皆様のご尽力もあり、現在は立派にお店を復旧させ、お仕事をされていらっしゃいます。生憎、お伺いした時には社長様と御子息の専務様はそれぞれご出張されていたそうで、日本各地に『元祖いかせんべい』をアピールすべくご活躍されているご様子でした。

すがたさんのお店のように一見すると復興は進んでいるようにも思えますが、実はそのかげで、金銭的、健康的な部分でお仕事に復帰できない方も多くいらっしゃいました。また、すがたさんのお店のように綺麗に立ち直った姿の建物があれば、画像にはUPしませんでしたが、ガードレールが震災の大津波で倒されたまま残っている場所もありました。
震災から3年6ヶ月…復旧・復興はそれぞれの状況で『温度差』が出てきているようです。実はこの記事の途中にも書いたように、午前中にお伺いした応急仮設住宅で写経会の開始時刻になっても人が集まらない状況があったため、仲介していただいた社会福祉協議会にお電話を差し上げた際に社会福祉協議会側から「住民の方々は精神的に色々な状況にたたされている。なかには外部の方が来ることを良しとしない方もいらっしゃるので談話室以外では住民の方との接触はできるだけ避けてほしい」とのご要望がありました。3年6ヶ月の間に出来てしまった復旧復興への『人の気持ちの温度差』も復旧復興へ向けて深刻な状況になっている事を感じさせる言葉でした。
ともかく、今回写経会にご参加いただきました宮古市内2箇所の応急仮設住宅の方々にはあらためまして感謝の意を表したいと思います。
本当にありがとうございました。合掌。

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2014年9月 1日 (月)

9月1日…防災の日に思う…

こんばんは。またまた5ヶ月もの空白期間ができてしまいました…ご無沙汰しました。
さて、今から91年前の今日9月1日は『関東大震災』が発生した日…1923年(大正12年)9月1日午前11時58分32秒、大きな地震が関東地方を襲いました。時間を見ていただくとお分かりのとおり、お昼時の地震…その結果各所で火災が発生、その火災が大きくなり、大変な被害が発生、犠牲になられた方も数多く出てしまいました。ここで、犠牲になられた方々に対してご冥福をお祈り申し上げます。合掌。
さて、昨今、大雨による土砂災害や水害が日本各地で発生、さらには現在も仮設住宅などで避難生活をおくる方が多くいらっしゃる『東日本大震災』など日本でも多くの災害が多発しています。それらの災害から教訓として得られるのが、『己れの身は己れで守る』と言うことである。行政ではどうしても限界があるのが、昨今の災害からかなり見えてきた。どんなに頑張っても、行政ではどうしても初動対応までは時間がかかる…その間の繋ぎを出来るのは自分自身しかいないのではないであろうか?災害はいつやって来るかわからない…人間の技術が発達してもゲリラ豪雨の予報や地震の予知は直前にしかできない現状…それに対応するにはやはり普段から『災害がいつやって来ても良いように備える』しかないのであろう…普段から災害が発生した時のシュミレーションを個々人で行う他はないのであろう。
そして、もう一つ…『困った時はお互い様』と言うこと…。東日本大震災では関西で阪神大震災の際に被災された方々が多く『復旧支援活動』をされていた事が記憶に新しいが、今度は東日本大震災で被災された方々が広島豪雨災害への『復旧支援活動』に従事されたと言う報道も見聞きした。例え、被災していない私のような人々でも、いつ災害に襲われ、助けを必要とするかもしれない…私はその時に助けていただく方がいらしても後ろめたい気持ちにならないように、『出来る手助けは出来るだけやる』事をモットーにしている。ただここで大切なのは、『無理をして支援活動をすべきではない』と言うこと…例えば与えられた仕事を投げて支援活動などは論外だと言うことである。お金を与えていただけるぐらい頼りにされている仕事を平気で投げて、支援活動などはあり得ないと思う。
そして、支援活動は単に被災された地域に出かけて力仕事をするだけが支援活動ではないと言うこと…必要となる物資やお金を協力する事だって立派な支援活動だと思うし、さらに言えば、東日本大震災で被災された方々が物産品を販売しているのであれば、それを購入する事だって立派な『復興支援活動』だと思う。大切なのは、『長く』『出来ること』を行う事ではないであろうか?
何となくとりとめがなくなってしまったが、私自身が防災の日に思い付いた事をそのまま記事にUPさせていただきました。皆さんはどのようにお考えでしょうか?
以上、失礼いたしました。

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