« 2015年2月 | トップページ | 2015年10月 »

2015年3月

2015年3月11日 (水)

平成27年3月11日に思う…。

平成24年3月11日…東日本大震災が発生してから今日で丸4年が経ちました。

私は4年前の3月11日巨大地震が発生した14時46分は2階にある自分の部屋で、事務仕事をしながら、テレビワイドショーの『ミヤネ屋』を見ていました。

何の前触れもなく、部屋が揺れはじめ、その直後にテレビから『緊急地震速報』のチャイムが聞こえると同時に激しい揺れが部屋を襲い、その直後に停電が発生し、テレビは消えてしまいました。揺れはその後も続き、台から落ちそうなテレビを押さえながら、トランジスタラジオをつけてみると、ラジオからもガラスが割れるような音しか聞こえてこなかった事は今でも覚えています。
私の感覚では揺れは約3分は続いたような気がしますが、その揺れがようやくおさまってきた頃に階段を下り、ラジオで情報収集をしながら自坊各所の点検を始めました。
ラジオからは「10メートルの津波が予想されるので、すぐに避難をするように…」と呼びかけるTBC東北放送の鈴木俊光アナウンサーの声が流れていたのを今でも記憶しています。

私は当時、間もなく満93歳を迎えようとしていた祖父と2人暮らしで度重なる余震から祖父を守るため、車を安全な所に移し、祖父だけを車に残し、私は引き続き自坊各所の確認、本坊の境内の巡回をしました。

夜になっても余震が収まらなかったので、祖父だけを避難所になっていた地元公民館に残し、私は自坊敷地内に車をとめ、車のカーナビのテレビで信じられない光景を目の当たりにして一夜を過ごしました。

あれから4年…その時同居していた祖父は一昨年5月に入院し、約半年後の12月に亡くなり環境が変わった私にとっては『あっという間の4年』でした。
幸い、私の祖父は亡くなるまで半年間、覚悟を決める猶予期間が与えられましたが、大津波で犠牲になられた方々や遺されたそのご家族は覚悟を決める時間もなく、お別れの瞬間を迎えた…私には想像できないほどの衝撃だったと思います。

『生かされていることに感謝し、精一杯生き抜く…』
これが今、私に課せられた命題だと感じて明日からも生活していきたいと思います。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

『天台宗陸奥教区 東日本大震災物故者追善供養』

私が属する天台宗陸奥教区(青森、岩手、宮城の3県の天台宗寺院により構成)では、今日3月11日午後1時より宮城県東松島市大曲浜にある萬寳院(まんぼういん)様の仮本堂において、東日本大震災で犠牲になられた方々を悼む『東日本大震災物故者追善供養』が執り行われました。


(会場となった萬寳院様仮本堂の内部の様子)

こちらの萬寳院様は震災による大津波が境内を直撃…本堂をはじめ、多くの仏像や板碑などの宝物が流され、さらにはご住職のお母さまと妹さまが津波によって犠牲になられました。妹さまのご遺体は発見されましたが、お母さまに関しては震災から丸4年が経過した今日現在も行方不明のままです。

そのような局面にも関わらず、ご住職や副住職の『お寺をお守りする』決意は固く、震災から1年も経たないうちに、被災した元の境内地から運河を挟んだ内陸側にある墓地にプレハブの仮本堂を建てられ、被災された方々の拠り所としてお寺をお守りになっております。

今日の追善供養には天台宗陸奥教区の僧侶25名に加え、天台宗茨城教区、北総教区(千葉県)から『天台宗東日本大震災復興支援ボランティアバスツアー』に参加された僧侶6名とご信徒様11名など総勢約50名が集まり、ご供養させていただきました。
この『天台宗東日本大震災復興支援ボランティアバスツアー』の皆様は昨日は宮城県女川町にある離島の出島(いずしま)に一泊され、地元の方々とともにご供養をされた後、石巻市の大川小学校、日和山公園にてご供養のお勤めをされた後に陸奥教区の供養に合流され、その後は宮城県東松島市にある被災した野蒜小学校旧校舎、宮戸島、名取市閖上地区を廻られご供養されるとのお話しでした。遠くからお参りいただいた事、非常に有り難い事と思います。

東日本大震災発生から丸4年…長かったか、短かったか…人それぞれ感じかたは様々かと思います。
大切なのはあの大災害が現実に発生したことをしっかり認識し、同じ被害を出さないように行動をとること、その事実を後世に伝えること、さらには今なお、仮設住宅をはじめ、避難生活を余儀なくされている方がいらっしゃると言う事実があることを認識し、できるかぎり、それぞれの立場で出来る協力を惜しみなくする事ではないかと思います。

私自身も微力ではありますが、何をすべきか?考え行動したいと思います。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2015年3月 8日 (日)

『みやぎ鎮魂の日 涌谷町防災講演会』

こんばんは。

今年も3月11日が近づいてきました。
テレビや新聞では『東日本大震災』についての特集番組や記事を頻繁に目にするようになりました。

そのようななかで、私が住んでいる宮城県涌谷町では、今日3月8日(日)に『町民防災講演会』なる催しが開催されました。
涌谷町では行政区単位に『自主防災組織』が構成され、私はその中で地域防災リーダーとして宮城県で認定されている『宮城県防災指導員』と言う肩書きをいただいております。
今回はその指導員の立場で参加させていただきましたが、会場には指導員だけではなく、自主防災組織の役員や各行政区の役員など100名ほどの方々が参加されていました。

今回は、河北新報社編集局報道部の記者である須藤 宣毅(すとう よしき)氏に『いのちと地域を守るヒント 〜河北新報の防災・減災報道から〜』と言う演題でお話しをいただきました。
河北新報では東日本大震災発生以前から防災記事を頻繁に特集していましたが、震災を契機に毎月11日の月命日に防災の特集記事を組んで報道されていますが、今回の講演でキーになるのは『いかに高齢者を普段からの防災訓練に参加してもらうか?』だったように感じました。
高齢者は自分一人だと「別に助からなくても良い…」と言うように訓練に対してもなかなか積極的に参加されないケースが多いそうです。そのなかで、きっかけの一つになるのが、お孫さんなど子どもに積極的に誘ってもらう…高齢者の方もお孫さんの頼みとなると動き出してもらえるケースが多いそうです。
ただ、最近は核家族化が進み、お孫さんなどの子どもが近くにいないケースもありますが、普段から世代をこえた交流が大切だと言うことが、ここからもハッキリしたように感じました。

『命を守ることができるのは遠くの親戚より近くの他人』
そのためには普段からの訓練で自分が地域の中でどのように対応すべきか?そのような事を進める上でどのような対応が必要か?今後、自分が住む地域でどう対応していくか?

今回の講演はそのような対策を作る上でヒントとなる貴重な内容でした。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

« 2015年2月 | トップページ | 2015年10月 »